電車の吊り広告の中にそんな言葉がありました。
朝の満員電車でのこと。
アジア系の外国人の女子大学生数人が日本語と英語を交えておしゃべりしていました。
「東京オリンピック計画!?なにそれ」
「東京でオリンピックを開こうとしているんだよ」
ここで小さな笑いが起きました。
笑いは暖かいものではなかったのです。
周りに乗っているのは、もちろん日本人だらけ。
私も含め、かなりの人が「え…。」という目でグループを見てしまいました。
結果的にサラリーマン風の男性が「冗談じゃねぇ。おまえらに言われる筋合いは無い。フン」みたいな独り言をボソボソ言っているところで私はその電車を降りました。
その後どうなったかは分かりません。
例えば、日本人同士で同じ会話をしていて、同じ様に笑ったのを想像します。
それでも私たちは「え…。」という目で見て、サラリーマン風の男性は「冗談じゃねぇ」と言うのかな。
たぶん、見ないし、言わない。
「東京でオリンピックを開く」という計画。
私は賛成も反対もしていませんが、どちらかといえば「別に今、東京で開かなくても良いんじゃないかなー」という程度の意識です。
だから「ちょっと無理な計画」だとか、反対ではないけれど否定的な意見も理解できます。
それでも外国人に笑われると「ここ(日本人だらけの満員電車)で笑わなくても良いのに」と思ってしまう。
その話題をしてしまったのも、思わず笑ってしまったのも、外国人に悪気があった訳ではないのは分かります。
だからなんだと言えばそれまでなんですけど、言われる人によって捉え方がこうも違うのかと思ったわけです。
だからなんだと言えばそれまでなんですけど。
* 民族間の事や都知事の賛否を言いたいのではありませんので。一応。
的なニュアンスが読み取れますからね。
彼らにとっては、オリンピックを開く、開かないの前に、
日本(東京)にはその資格すらないと言う事なんでしょう。
私はオリンピック反対派ですが、これに対しては、
むしろ、国自体を馬鹿にされたような気分になり嫌な気分です。
かと言って私も他国では「こんなところで?」と思うことがあるかもしれません。
「だからなんだと言えばそれまでなんですけど」まさにその様な感じです。
きっと消し去る事の出来ないちょっとした差別意識が、
潜んでいるのではないかと、考えてしまいますね。
ただ、自分の属性に無自覚であることは、他の民族・国土の人々のそれにも無自覚であるということだと思います。ならば、そういうものに対して敬意を払うこともない訳で、そこに質の良いコミュニケーションは生まれにくいですよね。
このみ。さんが出会った彼女たちの気持ちはわかりません。ただ、記されている言動を読む限り、彼女たちが周囲の私たちに敬意を払っているとは思えません。おそらく、彼女たちも敬意を払われていないのではないでしょうか?
個人として生きるってことは、頭で理解するほど簡単な事ではないのだと思います。
彼女らが言いたいことも分かるのですけどね。
思わず出てしまっただろうクスクス笑い一つで、その人たちがどう考えているかが分かってしまったのが、ちょっと悲しくなりました。
悪気はないから余計に。
賛成・反対には関係なく、あの周りに居た人たちは同じ事を考えたんだろうなと思うと、怖いですよね。
まさに、消し去ることの出来ないちょっとした差別意識。
無意識で人の傷つく行為を知らないうちにしている可能性があるんだなーと、考え方が広がりすぎですけど思ってしまいました。
気をつけなくちゃ。
>kaoru1107さん
最近は「個人として」という考え方が推進されていますね。
私も普段は全くというほど考えていないし、日本は特にその傾向が強いように思います。
彼女らに悪気は無いからこそ、素の部分が見えてしまった気がします。
無意識・無自覚だからこそ、気をつけないと出てしまう潜在意識で、お互いに嫌な思いをしてしまうのは辛いことですね。
日本語がかなり上手だったので、それなりの期間は滞在しているだろうし、それなりの考えがあっての留学だと思うのですけれど。
日本の全てを大好きになれとは思いませんが、せめて彼女らしか居ないところでの会話にして欲しかったなと思います。
個人として生きるとは、よっぽどの意識と覚悟が必要かもしれませんね。